MinopuによるWharton MBA留学記

総合商社にてトレジャリーに配属され為替・デリバティブのトレーダーを経験後、不動産事業投資へ。国内のみならず、海外のJV・アセマネ会社の投資先管理、事業撤退、訴訟を経験したのち、Wharton MBAへ。

イバラの道?~MBA生の米国就活~

MBA生らしいリクルーティングはほぼ一通りしたのではないかと思う。2年間相当に迷いに迷い、迷走し続けながら走り抜けた(ここからがスタートなのだが)。

 

2年間迷走するなかで、最高のキャリアコンサルタントにも出会い、人を頼っても良いのだという気づき、そして現時点での目指したい人物像が見えたのは時間の使い方として良かったのだと思っている。

 

ただ、正直キャリアゴールなんていうかっこいいものはなく、

 ”他の日本人がやっていないようなキャリアを形成してみる”

”自分が今挑戦してみたい、というエリアや業界にチャレンジしてみる”

”最後は事業会社のC-Suiteにいけるようなパスを選ぶ”

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卒業

卒業までの3か月間

 

1か月前の5月16日に無事、Wharton MBAを卒業致しました。修得単位21単位すべて落とすことなく、またCOVIDにも奇跡的にかかることなく安全に卒業できたことにほっとし、日本に帰国致しました。

 

卒業前の3月からは、目まぐるしく日々が進み(基本的には旅行やソーシャル面がほとんどでしたが)、卒業までの期間はほぼ朝、昼、夕方、ディナーに予定が入り、週末は旅行というスケジュールでした。

 

幸いなことに米国はCOVIDの接種率が現時点で70%に到達するほど、奇跡的なワクチン接種の広がりが速かったこともあり、卒業旅行としてBoston、New York、Austin、New Orleans、Miamiを回りました。

 

Austinの人の優しさ、食の豊かさに感動し、NewOrleansのCOVIDがさもなかったような光景に驚き。MiamiはWharton Tripということで500名強が集まり、昼夜問わず飲み会に顔を出すという学生らしい最後を迎えられたことは、COVIDで思い描いたようなMBA生活を過ごせなかったとしても良かったなぁと思いました。

 

 

旅行や旅行と旅行の合間のフィラデルフィア滞在で普段だったらキャッチアップできない友人と夜中まで話したり、熱いハグをしては、「いつ会うのが最後になってしまうかわからないな」と思いながら日々大切に過ごしてきました。

 

卒業式当日

卒業式当日は、COVIDの影響もありWhartonMBAについてはZoomでのバーチャル開催となり、いくつかの会場に分かれ、全員分の名前の読み上げや、アルムナイ等からのスピーチを聞きながら、アルコールをあおりつつ、写真を撮ったり、思い出を語り、感傷に浸っていました。(既にここまでほぼ2か月間毎日浴びるように飲んでいたので、だんだんお酒には飽きていましたが)

 

いよいよ、自分が学校を卒業するのだという、感覚が芽生えたのは今でも覚えています。

 

後日、仲の良かった4人組で最後にランチ。お互いにプレゼントを交換し、記念撮影をした際には、一人が公園の真ん中でも嗚咽を伴う涙を流し、当然涙腺が緩い私も涙が止まらなくなってしまう状況でした。

 

5-10分で駆け付けられる距離にお互いが住み、自分の困ったときにはすぐに駆け付けてくれ、友が困ったときにはすぐに声をかけられ、誰かしら毎日友人に会えるという環境、当然のことながら仕事からの逃避、30歳をこえてもなお青臭いことや、自分の恥ずかしいこと、話しづらいことも含めて誰かに話すということができる環境がもう手元にないのかと思うと、本当に貴重な経験だったのだと振り返っても思う次第です。

 

あっという間に仕事が始まってしまえば、また別の世界ができ、各々のコミュニティに戻ったり、新たなコミュニティに属すわけではありますが、本当に幸せでかけがえのない2年間であったことは間違いなく、この様な環境に身を置くことを許してくれて家族、会社に感謝しかないです。

 

 

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フィラデルフィアいちのNeighborhoodラーメンともさよなら。

 

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生徒会での集合写真

 

次のステップについては、次のエントリーで書いてみようと思います。

「1年半料理修行してきました。」Wharton MBAに通う30代男子の密かな戦い

(今回、新たな挑戦ということで、尊敬してやまない東京カレンダー風で書いてみました。彼らの10文字足らずで読者を引き込むタイトルは素晴らしいと思います。文才はないことがよくわかりましたが、また懲りずに書いてみようと思います。)

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フィラデルフィアに到着し、MBA生活が早くも2か月経過してしまったある日。武(仮称:たけし)は、連日のソーシャルという飲み会、そして飲み会毎に「Hey What did you do before Wharton?」「Where do you come from?」というお決まりの薄っぺらい挨拶にも少し疲れがたまってきていた。

 

 

夢に描いたMBA生活。確かにフィラデルフィアに到着した日の空はいつも以上に青く感じ、有名ファンドからの訴訟対応、そして新規設立した事業のモニタリングから解放されたことからの解放感はたまらないものがあった。

 

 

授業が始まり、有名コンサル出身、PE出身の華麗なキャリア出身の弁が立つクラスメートに埋もれて、「自分の発言って本当にクラスに貢献しているのか」と悩む日々を過ごしていたなかで、何かの面で尖りたい。と思い始めた。

 

 

 

MBAでの各々のキャラ設定の方法は種々ある。

 

 

 

 

パーティーにいつもいる人。

授業で必ずウィットに富んだ面白いこと言う人。

インスタに写真を大量に上げる人。

とにかくイケメン。モテる。

 

 

 

 

そんな中、武はMBAのアプリケーションで実施した自己分析をし、自分の強みは何かを考え、日本人の特性を生かし日本食を自分の特徴として売り出して行こうと決めた。

 

ボーイスカウトという上下関係の厳しい環境下、下からのリスペクトを獲得するために必死に獲得した料理というスキル。これを生かすしかない。

 

 

圧力鍋、包丁。まず形から入るべく道具をそろえたところで、ある程度の満足感を得ていた。「日本食作ればまぁ、間違いないでしょ。ウケるでしょ」そんな甘いキモチで臨んでいた。

 

 

しかし、そんな自信を打ち砕かれたのは、ある日自宅で日本食パーティーを開いた日のこと。

 

 

「今回は、気合入れて作った日本食。寿司、揚げ出し豆腐、野菜の煮びたし。茅乃舎のだしを使ったし、この繊細な味を伝えたい」といきこんでいた。「敬愛する栗原はるみ先生の料理…には程遠いが伝わるはずだ。」

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結果としては、揚げ出し豆腐、野菜の煮びたしには残念ながらほとんど箸がつかず、刺身を切っただけの寿司が人気という事実は悲しいもので、Rolandの言葉が武の頭をよぎった。

 

 

最高の物がいつも最高の扱いを受けるとは限らないよ。子供にはロマネコンティを出すよりもコーラを出した方が喜ばれるのと同じ。きっといつか分かってくれるさ

 

 

すっかり、自分中心的に「食べてほしい料理を提供する」ことに注力し、「顧客の目線に立っていない」料理をしてしまっていたことに気づいた。MBAを学ぶ者として失格だ。武は根っからのサウナ―である。そのサウナ―のレジェンド井上氏もこう語っていた。

 

「やっぱり客商売って、最大の商品は“人”じゃないですか。熱波師は“熱波道”を通じて、お客さんに楽しみを届けるエンターテイナーなんですよ。やってみればわかりますが、メチャクチャツライ。でも、その一生懸命さをお客さんは見て盛り上がるんです

 

 

武もようやく気付いた。料理が商品なのではない。私自身が技術を向上させ、皆をエンターテインしなければならない。

 

 

その後は、様々な試行錯誤の日々だった。様々な友人を家に呼び、色々な料理を試した。ブラジル人、メキシコ人、中国人、韓国人、もちろん現地のアメリカ人。日本食だけではなく、中華、イタリアンまでも。

 

 

時に、自分のエセ料理人としてのプライドが捨てきれず、煮びたし、豆腐料理等も作って出した。しかしながら、最後に出したしょうゆとバターで焙っただけの焼きおにぎりに評価は負けた。

 

 

 

結論としては、

シンプルが何よりも大事。複雑さを追求するよりも素朴さが良い。そして、肉。

と結論づけた。

 

 

 

 

いくつかの鉄板ネタを作り「日本食なら武の家に」とまで(はいかなかったが)、評価を上げるべく邁進している。まだまだ、先は見えない孤独な戦いを彼は続ける。

 

 

 

 

以下は、参考までにいくつかの武のレパートリーである。

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野菜と海老の中華炒め、豚の角煮、卵焼き

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たこ焼き

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きのこのリゾット

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LA風韓国焼肉

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苺のティラミス

 

人を頼るということ

ここ最近、私が身にしみてMBAに来て良かったと思うことは、「真に人に頼る」というスキルを得られたことだと思っています。

 

前職の時に意識してたことは、自分の知識を深め、専門性を高めるためにもなるべく自分一人で仕事を簡潔させる。ということでした。その結果、メンターだった時ですら、自分の仕事を同僚/後輩とシェアするということへの意識が低かったと思いますし、自分でやった方が早いなと(今思えばめちゃくちゃ傲慢ですが)、自己完結しようとする傾向がありました。

 

更に言えば、「これは私の成果」「私が成し遂げた案件」といえることが会社内で評価されるという風潮があったのも、さらにこの傾向を助長する要因だったとも思います。

 

~教授からの学び∼

今期、Kevin Kaiser教授のShareholders Activism (FNCE 887)という授業を履修しました。初回の授業は

 

Do not trust what I said. "Kevin is always wrong" 

という自己紹介で始まり、本当に驚かされました。

 

教授なのに、どういうことだ、と思ったのですがその後に彼は、「教授と言えども人間なので間違いは必ず起きる。そして、知識がoutdatedになることも当然だ。それゆえに、私も含めて我々はDiscussionを通じて学ぶのである」と我々に彼の考えをシェアあしてくれました。

 

McKinsey、INSEAD MBA、Kellogg/Whartonの教授と輝かしい経歴を持ちながらも、他人(むしろ学生)から学ぶという謙虚な姿勢、そして一人ではなく他人の力を頼ることを意識したそんな瞬間でした。

 

~Wharton外からの学び~

今期から、ECFP(Executive Coach Feedback Program)というWhartonの2年時になると授業外でとれるプログラムも履修し始めています。このプログラムは、Executive Coach(かなりのベテランカウンセラー)と1on1で計7時間(7回)のセッションを通じて個々人のキャリア形成を考える、自分を理解することを目的としています。本プログラムを受ける際には、同僚やクラスメート、友人などから匿名形式でSurveyを実施し、自分の強み、改善点をオープンに指摘を受けることができます。その中でも、私自身は“Delegation”に改善点があることを理解しました。

 

Whartonの授業に加えて、Medical SchoolのMindfulness (MED589)の授業も履修し、Meditation、自己/他人との会話に注力しました。

その中で、「不完全な存在の自分を受け入れても良い」という考えを学べたことは自分の理想像との現実とのギャップからくるストレスにどう向き合うかという課題に対して一歩踏み込めたと感じています。

 

私の友人の中には自分の理想像がしっかりと見えていて、その理想に対して必要なステップをしっかりと理解し、何よりも自分自身で判断できている人もおり、そのような人になれればと何度も思いました。

しかし、授業/プログラムを通じて、自分一人で解決することではなく、人に頼っても良い。むしろ頼ることで私の場合は、自分のビジョンをクリアにでき、一人では成し遂げらなかったことを可能にできると感じ取るようになりました。

 

コールドメール(Linkedin等で見ず知らずの人に連絡を取り、話を聞くこと)や学生としての立場やネットワークをフル活用して、自分のキャリアの考え方を壁打ちする機会を意識的に増やすことができ、この様なメンタリティを持てたことを幸せに感じます。

 

大分スピリチュアルな、ふわふわした話となりましたが、知識の獲得だけでなくMBAというのは自己を見直す本当に良い機会だと、皆さんにお伝えできていれば嬉しい次第です。

MBA1年目を終えての正直な感想~このままでいいのか私は~

前回の投稿とは違って、少し真面目な投稿を。ただし、今回の投稿はMBAを目指す人にとっては、Demotivateする投稿になるかもしれません。また、MBAを卒業された先輩からは、何もわかっていないな。と思われるかと思います。

 

期末試験が終わってから、ずっと「この1年間で何を学び、何を得て、どう成長できただろうか。」と考えていました。

 原点に立ち返るべく、MBA応募資料を見直してみると、

①マネジメント・リーダーシップ能力

②事業再生・拡大能力の確保

③ネットワークの構築

を目標としていたので、これに照らし合わせて振り返ってみることにします。

 

~マネジメント・リーダーシップ能力編~

まず、なんだこのふわっとした目標は。と思われるかと思います。

  • 商社勤務時代、不動産/ファンド/不動産ファンド運用会社への投資、投資先とのプロジェクトや社内の各部署、海外のパートナー等様々な関係者との数えきれない衝突の数々を振り返ると、立場や価値観の異なるメンバーとの意見調整、並びに組織を牽引するマネジメント・リーダーシップ能力を伴うことで、より円滑な事業化の実現が可能だっただろうと感じ、自分をそのような環境に身を置きたいと考えていました。
  • Leaning Team内で、様々な人種(トルコ人、アメリカ人、インド人等)が混在するなか、どのように自分が価値を発揮するか。には、常に悩み、英語で自分のパートを説明しきれないので、とりあえずケースは誰よりも早く読みケースのまとめを共有、過去問をシェアしたり、「これ、大学生の時に過去問と人のノートを集めていた時と変わらなくないか」と気づき、意外なところで価値を発揮できることにも気づきがありました。
  • 課外活動としては、Real Estate ClubでBoardメンバーとして、Finance(経理財務)を担当したり、Japan TrekのLogistics担当として旅行代理店との交渉等を担当したことで、「自分とは違う価値観を持つ人と仕事することの難しさ」、「やるべきことを着実に実施することで得られる信頼感」も感じました。(と同時に、時間の制約で仕事がおろそかになり、失ったときもあります)
  • 正直、ストレスに感じることも多くあります。Whatsappのグループで2時間放置しただけで、50件の未読がついており、コミュニケーションスピードの違い、そしてtimelyに返信できる英語力、適応力がなく自責をする日々が続いていることも事実です。
  • ただおかげ様で、今年はWGA(Wharton Graduation Association、生徒会)の役員にも選んでもらい、VP of Leadershipという役職で今年度はイベントを企画したりする予定です(COVIDでどうなるかはわかりませんが)。こちらについては、次回以降アップデートしていきたいと思います。

 

~事業再生・拡大能力の確保編~

  • 事業再生・投資先の事業拡大は大学の留学時からの私のテーマで、商社勤務時は訴訟・事業撤退などを担当させてもらう中で、自分の知識のなさに辟易することも多かったのは事実です。コーポレートファイナンスも薄い知識でしたので、Corporate Financeの授業を取ったり、Disclosure Analysisの授業を通じて一旦テコ入れできたことは、一つ良かった点です。
  • ただ、とても実務の方のレベルには程遠いとも感じます。実際に、Hedge Fundやコンサルティングでインターンすると、実務とAcademicとのギャップにも触れられ、Academicの理論をベースに実務で応用編を学んでいくことが大切なのだなとしみじみ感じます。(インターンについては、後日書きます)
  • 今期は、Advancead Corporate Finance、Strategic Management、Venure capital Financeなどの授業を履修します。
  • 総合大学ならではの授業も何か取りたい、ということでMED589(Mindfulness)というMeditationの授業も履修し、自分磨きに拍車がかかるばかりです。笑f:id:minopunodiary:20200905005446p:plain

 

~ネットワークの構築~

  • この点については、文句なくMBAに来てよかったと感じます。例えば、今後のキャリアについて相談をしたいと思ったときに、Linkedinや学校のAlumniプラットフォームを通じてAlumniと連絡した際にも、ほぼ100%連絡が返ってきました。
  • 加えて、大学院生という肩書を持つことによって今までの一企業での自分という肩書を外れて、Whartonだけではなく他大学のMBAを取得した人や、様々なキャリアパスの方と、利害関係等を気にすることなくフラットに話ができるようになったことは、何にも得難い資産だなと感じます。
  • 将来についてプライベート、仕事について今までにない観点でアドバイスをくれ、そして年や出身が違っても同じ大学院生としてフラットに議論できる友人には感謝しきれません。
  • また、初めてアメリカでの就職活動という今までに想定しえなかった、機会を提供してくれることとなったのは、間違いなくネットワーク、そして米国でのMasterという肩書を得たからだと思っています。(うまくいくかどうかは別ですが)

 

~番外編~

留学に限定したことではありませんが、

  • COVIDを通じて、「今してみたいことを、思い立ったらまずやってみる」というマインドセット(旅行行かなかったことを後悔しているので。。)
  • かけがえのない家族という存在の大切さ

を獲得/認識しました。

 

~結論~

長文乱文を書いてしまいましたが、結論から言えばふわっとした何かを得た気がする。そんなものでした。こう書くと、怒られそうな気もするのですが、僕自身は何となく昔から意識してきたMBAに漠然と夢を描きここまで来ましたが、ここでの経験は長期間に亘って後々効いてくるものだと思いますし、1年や2年で結果が出るものではないと思います。しかし

  • 前向きな、そして将来が開けたような根拠なき(?)自信
  • 自分と違うものをもっている人がこんなにもいるのだなと謙虚な気持ちで受け取ることの大切さ

については、自分の体に浸透したような気がしています。

 

 

 

New Yorkでのインターン生活~奇妙な3人共同生活~

気づけば6月に入り、あっという間にMBA1年目が終了してしまったことをしみじみと思うと同時に、「この1年で何か変わったのか」、「何か学んだのか」と振り返る必要があるなと思い、この記事を書いています。

 

ただ、その振り返りの前に、この話をさせてください。

 

~5月のとある日編~

New YorkでのHedge Fundのインターン先と会話をするなかで、

「Minopuさん、New YorkはEssential Businessで働いている人は通勤できます。私たちはEssential Businessに含まれており、オフィスで働いているので、よかったら通勤してください」とのこと。

 

COVIDど真ん中だよね。行くかなぁ。とお布団タイム(私が大好きな、布団にくるまってゴロゴロすること)を数回したのですが、

「新しいこと学ぶのであれば、人に直接会ってやったほうがいいよね」と心を決め、すぐに家探しに。

 

 

 

しかし、このコロナ環境下、家が全然見つからない。

 

 

 

 

不動産Agentに電話をしても、内覧ができない、空いてない、と何かしら理由をつけては断られたので、やむなくAirbnbにすることに。(後に気づいたのですが、コロナの影響で、一旦住んでしまうと立ち退きを断ることができる、という借主優位な条例を州がだしていたので、オーナーが嫌がったようです)

 

Airbnbを予約したことがある人は知っているかもしれませんが、宿泊する環境を予約時に設定できます。例えば、「炊飯器が欲しい」とか、「風呂は共同はいやだ」とか。

今回はインターンシップだし、遊びに行くわけではない。働くのだ。ましてや、31歳にもなった立派な成人なのだ。黙って一人部屋だ!と「Whole Apt」にチェックをつけ、予約。一安心し、数日間は引っ越しの準備やらまったりしていました。

 

いよいよ、念願のNew Yorkか…俺もいよいよ夢をかなえるときが来たか。と感慨にふけりながら、お布団タイムしていた私の元にAirbnbのオーナーからメールが。

 

 

 

Room mateがWelcome Partyをしたいって言ってるんだけど、いつがあいてる?

 

 

 

 

 

 

 

 

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自然と出てしまう”What?”

 

 

 

 

 

 

 

(いよいよ私も外国かぶれてきましたYo!)

 部屋の写真も入念にチェックし、お風呂もトイレもあるし、炊飯器の有無まで確認し、何よりもWhole Aptにチェック入れたのに。Ownerと会話をすると、どうも「生活部屋として完結はする。ただし、キッチンはシェア」ということでWhole Aptだったとの認識らしく、確かに細かく読むと「Room mateいるよ」と但し書きがある。

 

 

しまった。

 

 

既に移動2日前。

 

 

とても新しい先を見つける時間はなく、Airbnbと交渉する時間もない。

 

 

まぁ、何とかなるか。話し相手くらいにはなるだろう。と、Whartonで培ったポジティブマインドを武器に、気持ち新たにNew Yorkに乗り込んできました。

 

 

~Room mateとの対面編~

出迎えてくれたのは、

30歳前後のフランス人で、投資銀行でコンプラ担当のAude(女性)。そして、もう一人は年齢不詳(おそらく50歳代?)の香港系アメリカ人のSteven(男性)の二人。

 

(この二人の組み合わせ、すごく強烈だけど、見た目はいい人そう)と心の中で唱え、初日は引っ越しの疲れもあり、即就寝しました。

 

~翌朝の会話編~

翌朝、キッチンで朝飯を作りながら、Stevenと会話。

Steven「なにしにNew Yorkきたの」

Minopu「Hedge Fundでインターンなのよね」

Steven 「お、本当。俺も昔香港でFundやってたんだよね」

Minopu「まじか。今New York ではなにやってるの?」

Steven「Project Managementの能力を買われて、工事現場の責任者だぜ」

 

 

 

NAZEDAI。 

 

 

(そういえば、昔タクシーの運転手さんと「俺、昔貿易会社の社長だったんだぜ。今はタクシー運転手やってるんだ」という話をしたけど、なんとなくデジャブ感あるな)

 

(というか、昨日気づかなかったけど、丸首Tシャツの袖と、なぜか襟元から、Tatooではなく、日本風な入れ墨見えるわ~。)

 と、色々な思いが駆け抜けていきました。

 

 

しかし、人は見た目では判断してはいけないのです。たまにカレーを夜ごはんにつくってくれるナイスガイです。

 

 

先週は、Welcomeしてくれたお礼に、唐揚げ定食を二人に作ったところ、喜んでくれてこの殺伐としたNew Yorkで平和な日々を送っております。

 

 

31歳にもなって、まさかこんな共同生活をするとは思わなかったのですが、MBAならでは。でいいのではないでしょうか。

 

 

想像以上に話が広がってしまったので、振り返りは別の機会にします。

危機対応はあなどれない~記者にド詰めされる経験~


先週末で1年目の授業は全て終了し、残すは試験のみとなりました。振り返ってみようとしても、最初の方の授業のことはかなりの部分を忘れているので、1年間は長かったのだなと感じさせられます。

 

今回は、今学期に履修したWHCP(Wharton Communication Program)について、書いてみようかと思います。WHCPはライティングとプレゼンテーションに特化した授業で、1stセメスターにおいても、プレゼンテーションの基礎(ストラクチャー、ハンドジェスチャー、目線、声のトーンなど)の修得を目指しました。

 

本セメスターでは、Imprompt PresentationやPitching your Businessといういくつかあるコースの中か“Crisis Comunication”を選択。6週間にわたり、会社が不祥事や未曾有の事件や災害に巻き込まれた際に、”どのように自分の考えをCEOとしてデリバリーするか?”をテーマに学びました。この授業は実際の記者を呼んで、模擬記者会見のようなセッションもありますし、完全なるネイティブスピーカーとのスピーキングの授業だったので(前期はinternationalとnativeで分かれていた)、教授やTAにも「俺ついていける気がしません。。」と事前に相談するくらい弱気モードだったのですが、終わってみれば学びも多く、クラスメートとも仲良くなれ、非常に楽しい授業となりました。

 

ここでは、具体的に授業中にならったフレームワークを紹介しながら、私がどのように文章を書いたかを紹介できればと思います。

 

前提

PG&Eという実在する電力会社のケースを担当。2019年に同社は、カリフォルニア州における極度の乾燥した突風によるトルネードにより、配電設備が火事を引き起こしかねないことから、配電を事前停止する選択を取り、CEOとしてCrisisチームに対して今後の対応策について説明をする、という設定です。

(ご参考:Inside a California utility: Mandatory blackouts amid wildfire threats and bankruptcy、当時の新聞記事)

www.msn.com

 

まず具体的に書き始める前に~下準備編~

まず、文章を書き始める前にAMCTというフレームワークをつかって、何を書くべきかを整理します。AMCTは、

Audience(誰に対して)

Message(どんなメッセージを)

Communication(どのような手法で)

Timing(いつ)

の頭文字です。 

 

今回のケースですと、私はCEOとして

Audience     Crisis Teamに

Message     配電停止に関する情報/対処方法について

Communication  対面形式で

Timing      配電停止前に

伝えるということになります。

 

例えば、このFrameworkに沿って書くと、書き出しはこんな感じになります。

※あくまで私の例です。

(Communicationは、設定ですので割愛します)

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