MinopuによるWharton MBA留学記

総合商社にてトレジャリーに配属され為替・デリバティブのトレーダーを経験後、不動産事業投資へ。国内のみならず、海外のJV・アセマネ会社の投資先管理、事業撤退、訴訟を経験したのち、Wharton MBAへ。

イバラの道?~MBA生の米国就活~

MBA生らしいリクルーティングはほぼ一通りしたのではないかと思う。2年間相当に迷いに迷い、迷走し続けながら走り抜けた(ここからがスタートなのだが)。

 

2年間迷走するなかで、最高のキャリアコンサルタントにも出会い、人を頼っても良いのだという気づき、そして現時点での目指したい人物像が見えたのは時間の使い方として良かったのだと思っている。

 

ただ、正直キャリアゴールなんていうかっこいいものはなく、

 ”他の日本人がやっていないようなキャリアを形成してみる”

”自分が今挑戦してみたい、というエリアや業界にチャレンジしてみる”

”最後は事業会社のC-Suiteにいけるようなパスを選ぶ”

を意識していた。

  

紆余曲折の結果として、米国にて投資銀行に勤務してみることにしてみたので、簡単にリクルーティングの概要を記載しておく。

 

~米国フルタイム就活のイメージ~

1年目のインターンシップについては、以下の記事を参考に頂くとして、フルタイムのリクルーティングについてこちらに記載したいと思う。

 

minopuwharton.hatenablog.com

1年目の夏休みが終わりかける8月頃からフルタイムのリクルーティングは始まってしまう。既に、夏休みのインターンシップにて、コンサル、投資銀行、大手金融機関(アセマネ、HF等)、BigTech(GAFA)からオファーをもらう人が一定数いる一方、

  1. インターンの企業・業界が好きではなかった
  2. インターン先からオファーが出なかった
  3. 夏は自分の起業に力を入れていたが方向性を変えたい
  4. より良いオファーを取りたい

などの理由で9月頃からフルタイムのリクルーティングは開始される。

 

インターンの企業・業界が好きではなかったケースの場合

思ったよりも仕事がキツい、人が好きじゃない、やりたいと思ったことが違ったなどがこのケースに当てはまるのだが、この様な人たちは他業種のリクルーティングを始めるが、コンサル、投資銀行、大手事業会社のポジションは既に夏の時点で8割方埋まっており数少ない枠を取り合うことになる。

 

インターン先からオファーが出なかった

PE、VC、スタートアップなど枠が少ない企業に多く見られ、その場合はフルタイムでもリクルーティングをすることになるが、この様なポジション・企業のリクルーティングで厳しいのは大抵卒業間近まで時間を要することにあり、年明け頃からよくある会話として、「会社どこにいくの?」「どの都市にいくの?」という質問が地味なボディブローとなり、精神的に不安定になりがちなので強い精神力が必要

 

より良いオファーを取りたい

私については、一部このケースであった。本当に運が良く、そんなにパフォームしたとは思えないものの、コンサル会社の東京オフィスからオファーを頂戴することができ、ホッとしたものの、再度何がしたかったのかと振り返った際に”海外×事業会社” に行きついた。その結果、本オファーについては謝絶させて頂き就職活動を続けることとなった。ほかには、「Small PEからオファーもらったけど、もう少し上を目指したい」「エリアにもう少しこだわりたい」などの理由があるように見受けられる。

 

~実際の苦悩~

①うぬぼれフェーズ

上記のスケジュールに基づき、9月頃から事業会社の(特にFinance系)General Mamangementロールへの応募を開始した。業種は問わず、例えばEstee LauderのCEOプログラム、MerckのRotation Programなど、初の海外勤務ということもあり中長期で採用を考えてくれるようなプログラムを中心にアプライを開始した。

「総合商社って何?」などのお決まりの質問に対し答えつつも最終面接まで行けた会社が2,3社あった。この時点でまだ10社程度しか応募しておらず、自分の中で「これは結構いけるかもしれない」と思い始めた。

結論から言うと、中堅コンサルのローテーションプログラムからはオファーが出たものの、本スケジュールでの持ち駒はすべて出し切り、終了してしまった。既に3か月は経過しており、だんだんと周囲の友人達はオファーが出始め、焦りが生じ始めていた。

 

②撃沈瀕死フェーズ

年が明け、3月末まではとりあえず粘ろうと思い、求人があれば片っ端からアプライをする生活が始まった。学校のポータルサイトに掲載されてあるものは、General Managementであればほぼすべて、Linkedin、友人のつて、などありとあらゆるものにアプライ。しかし、面接に呼ばれない。呼ばれても落ち続ける、そんな日々が続きました。後々考えてみれば、

  • 業務経験が日本に偏っていた(JVパートナーも外資であったが勤務地として)
  • 業界の経験値不足
  • 英語コミュニケーション能力

などが要因だったのではないかと考えている。

毎日のように来るお祈りメール{日本だけではなく、グローバル共通だと知った)に対して不感になり、諦めの境地に。

 

③起死回生フェーズ

もうほぼ諦めかけていたある4月のある日に、投資銀行の一社から連絡があり急遽面接を受けることに。当初は、「投資銀行か。激務だし、事業会社のC-suiteにはつながるだろうけど、果てどうしたものか。。」と悩んでいた私に対し、友人から「まずは練習だと思って受けろ!オファー出てすらいないのに何を悩んでいるんだ。アメリカに残ってみたいんだろ!!」と叱咤激励を受け、最後の踏ん張りを見せ、約2週間で6回の面接を受けてオファーを何とかもらうことができた。

 

もらったオファーと派遣元に戻ることについて、悩みぬいた結果、今行かなかったらいつ行くんだろうか。と考えると、35歳であればもう体力的にも精神的にもきついだろうという漠然とした思いもあり、退職を決めた。

 

その後は、派遣元の会社への退職の手続き等を済ませ、現在はニート期間に突入している。派遣元の会社でのキャリアを一旦はリセットしなければならないこと、また気心の知れた同僚の方達と働けないかと思うと、寂しさがつもり、退職には相当なストレスがかかった。決して退職したかったわけではなかったので、今も会社には感謝しているし、たくさんの方に熱いメッセージを頂戴し胸が熱くなった。

 

~今後の展開に関する思い~

もしかすると、半年ももたずうつになり、退職してしまっているかもしれないし、クビになっているかもしれないと思うと憂鬱になる時間が一日数時間必ずあるのだが、それでもこの挑戦ができたのは、間違いなくMBAにて培った「根拠なき自信によるポジティブマインド」「何とかなる精神」に加えて「人と違うことを良しとするという文化」が後押ししてくれたのだと思う。(もちろん同級生の応援がなければこのような選択をすることはなかった)

また、COVIDが浸透し、当初思っていた旅行ができなくなり、自分に対して色々な言い訳で旅行しない理由を見つけていた一年生の時の自分を恥じ、今やりたいと思ったらとりあえずやってみるというマインドも助けてくれた。

 

決して正しい判断でなのかは、わからない。30年後に振り返ってようやくわかるものであると思う。よくある、MBAに行くべきか議論も同様だと思う。今結論が出るものでもないだろう。

 

ただ、自分が後悔をしないように、そして自分が選んだ選択肢をベストにするためにただひたすらに前を向きをながら邁進していくだけなのだと、今は思っている。

 MBAに感謝し、家族と友人には感謝しきれないのである。